高山昭和館スタッフ奮闘記! HOME
プラモデル ポルシェ911スピードスター
こんにちは
高山昭和館の岩高です。
お客さまよりプラモデルを寄付してもらいました
有難うございます
なんと
ポルシェ911スピードスターです
こちらは当時、接着剤のいらない、スナップロックキットとしてこのキットは、1988年発売されていました。
911ターボとかは作成しましたがスピードスターは
初めて見ました
感動です
それも組立ていない物なので大変貴重な物では
ないんじゃないかと思う
さっそく館内に展示してありますので
見に来てくださいナ
では‼️またまた
高山昭和館の岩高です。
お客さまよりプラモデルを寄付してもらいました
有難うございます
なんと
ポルシェ911スピードスターです
こちらは当時、接着剤のいらない、スナップロックキットとしてこのキットは、1988年発売されていました。
911ターボとかは作成しましたがスピードスターは
初めて見ました
感動です
それも組立ていない物なので大変貴重な物では
ないんじゃないかと思う
さっそく館内に展示してありますので
見に来てくださいナ
では‼️またまた
10月14日の記事
こんにちは
高山昭和館の岩高です
昔からある駄菓子の定番とも言えるアメ玉
今は一個ずつ袋に入って10円で売っているのが普通ですが、昭和30年代では、ガラスの容器に入っているのを
店のおばちゃんが紙袋に入れてくれました
値段はたしか3個で10円で、大きさも当時は一回り大きかったように思えます
後、今はあるかどうかわかりませんが、真っ白いハッカ味の物があり、ちょーどドロップ館に入っている白いハッカ味のと同じだったと思います
昭和館でもベスト5に入るヒット商品です
最寄のさいは、買ってくださいナ
では、また
高山昭和館の岩高です
昔からある駄菓子の定番とも言えるアメ玉
今は一個ずつ袋に入って10円で売っているのが普通ですが、昭和30年代では、ガラスの容器に入っているのを
店のおばちゃんが紙袋に入れてくれました
値段はたしか3個で10円で、大きさも当時は一回り大きかったように思えます
後、今はあるかどうかわかりませんが、真っ白いハッカ味の物があり、ちょーどドロップ館に入っている白いハッカ味のと同じだったと思います
昭和館でもベスト5に入るヒット商品です
最寄のさいは、買ってくださいナ
では、また
ソフトグライダー
こんにちは
高山昭和館の岩高れす
昭和館でも売れ筋のソフトグライダーを紹介しよう
昭和30年代のグライダーはこれがまた作るのがむずかしかった
竹と紙をくっつけるためにヤマト糊を水で薄めて伸ばしたり竹ひごをロウソクの火などでアブって形を整えたり
その後、素材が発泡スチロールに変わり、竹ひごの曲げと紙張りから開放され、すぐに遊べる(飛ばせる)ようになった
これまでは作り終えた美しさとバランスが 、きれいに飛ぶ技術でもあったのだが、発泡スチロールの主翼など材質の革命は「遊ぶ楽しさ」を提供してくれる
簡単に作れて飛ばせるのがいいです
ただ、昔は時間をかけて作る楽しみはありました
時代の流れですネ
高山昭和館の岩高れす
昭和館でも売れ筋のソフトグライダーを紹介しよう
昭和30年代のグライダーはこれがまた作るのがむずかしかった
竹と紙をくっつけるためにヤマト糊を水で薄めて伸ばしたり竹ひごをロウソクの火などでアブって形を整えたり
その後、素材が発泡スチロールに変わり、竹ひごの曲げと紙張りから開放され、すぐに遊べる(飛ばせる)ようになった
これまでは作り終えた美しさとバランスが 、きれいに飛ぶ技術でもあったのだが、発泡スチロールの主翼など材質の革命は「遊ぶ楽しさ」を提供してくれる
簡単に作れて飛ばせるのがいいです
ただ、昔は時間をかけて作る楽しみはありました
時代の流れですネ
ジュークbox
こんにちは
高山昭和館の岩高です
最近は見なくなったジューク・ボックスをご存知だろうか
70年代前半くらいまで喫茶店やゲーム・センター、ボウリング場、レストランに設置されていたミュージック・プレイヤーだ。いわば大型のレコード・プレイヤー(いちおうステレオだが、スピーカーが近すぎてほとんどステレオとしては聴けなかった)で、やって来た客がこのマシンにコインを挿入して、楽曲リストの中から聴きたい曲の書かれている札(手書きの場合もあった)の横にあるボタンを押すと当該の曲を一曲だけ聴くことができる
CD盤が普及してから、知らぬ間に消えていったのであろう
当時、じぶんは高山にあったパークボール(ボーリング場)で曲聞いていました
ちょーどボーリングブームの時だったと思います
昭和館で音楽体験して見ては
高山昭和館の岩高です
最近は見なくなったジューク・ボックスをご存知だろうか
70年代前半くらいまで喫茶店やゲーム・センター、ボウリング場、レストランに設置されていたミュージック・プレイヤーだ。いわば大型のレコード・プレイヤー(いちおうステレオだが、スピーカーが近すぎてほとんどステレオとしては聴けなかった)で、やって来た客がこのマシンにコインを挿入して、楽曲リストの中から聴きたい曲の書かれている札(手書きの場合もあった)の横にあるボタンを押すと当該の曲を一曲だけ聴くことができる
CD盤が普及してから、知らぬ間に消えていったのであろう
当時、じぶんは高山にあったパークボール(ボーリング場)で曲聞いていました
ちょーどボーリングブームの時だったと思います
昭和館で音楽体験して見ては
サクマのドロップ
こんにちは
高山昭和館の岩高です
サクマ製菓のドロップ
1913年(大正2年)には缶入りでの発売を始めて以来、今現在も販売されています。
みなさんもご存じ映画の「火垂るの墓」(1988年公開)で小道具として使われたことでサクマ式ドロップスが再注目される事となり、アニメファンの要望に応える形で、映画に登場したデザインを再現したサクマ式ドロップス復刻版が佐久間製菓株式会社より発売された‼️
高山昭和館に空の缶がありましたので懐かしく思い載せてみました
最後に水を入れて、降って飲んだのを覚えています
見覚えある方がたくさんいるのではないでしょうか
では、また
高山昭和館の岩高です
サクマ製菓のドロップ
1913年(大正2年)には缶入りでの発売を始めて以来、今現在も販売されています。
みなさんもご存じ映画の「火垂るの墓」(1988年公開)で小道具として使われたことでサクマ式ドロップスが再注目される事となり、アニメファンの要望に応える形で、映画に登場したデザインを再現したサクマ式ドロップス復刻版が佐久間製菓株式会社より発売された‼️
高山昭和館に空の缶がありましたので懐かしく思い載せてみました
最後に水を入れて、降って飲んだのを覚えています
見覚えある方がたくさんいるのではないでしょうか
では、また
歩行器カタカタ
こんにちは
高山昭和館の岩高です
一緒に歩き始めた品 子にも親にも思いがやっと、歩き始めた幼いころ、いつも一緒だったのが「カタカタ」である
いわゆるおもちゃであり、歩行練習器具でもある。
単に車を押していくだけでなく、歩くことを楽しみながら練習できるようにと、ウサギや犬などの動物が「カタカタ」という音とともに上下するようになっている
子どものころの写真には、「カタカタ」とともに写っている物がたくさんある
おそらく、歩き始めたことが親にとっても大切な出来事であり、必然的にカタカタを押して歩いている写真も多いのだろう
このカタカタは、昭和30年代ごろのものと思われる
自分も昭和30年代なので、とてもなつかしいです
写真は残っているかわかりませんけど
たぶん、白黒写真かな
では、また
高山昭和館の岩高です
一緒に歩き始めた品 子にも親にも思いがやっと、歩き始めた幼いころ、いつも一緒だったのが「カタカタ」である
いわゆるおもちゃであり、歩行練習器具でもある。
単に車を押していくだけでなく、歩くことを楽しみながら練習できるようにと、ウサギや犬などの動物が「カタカタ」という音とともに上下するようになっている
子どものころの写真には、「カタカタ」とともに写っている物がたくさんある
おそらく、歩き始めたことが親にとっても大切な出来事であり、必然的にカタカタを押して歩いている写真も多いのだろう
このカタカタは、昭和30年代ごろのものと思われる
自分も昭和30年代なので、とてもなつかしいです
写真は残っているかわかりませんけど
たぶん、白黒写真かな
では、また
木製の牛乳箱
こんにちは
高山昭和館の岩高です。
昭和のあるある
昭和40年代、牛乳は毎日おっちゃんが牛乳を配達してくれました
玄関には180mlの瓶が入る木製の箱に入れてありました。
最近はほとんど木製のものはなくなりましたが…
自分の家飛騨牛乳をたしか取っていました。
いつからだろう飛騨牛乳が配達しなくなったのは
自分の記憶には昭和50年頃までは配達していたと思います
よく木箱から牛乳が盗まれた事もありましたよネ
とてもショックでした
見覚えのある方、たくさんいるのではないですか
とてもなつかしです
ではまた
高山昭和館の岩高です。
昭和のあるある
昭和40年代、牛乳は毎日おっちゃんが牛乳を配達してくれました
玄関には180mlの瓶が入る木製の箱に入れてありました。
最近はほとんど木製のものはなくなりましたが…
自分の家飛騨牛乳をたしか取っていました。
いつからだろう飛騨牛乳が配達しなくなったのは
自分の記憶には昭和50年頃までは配達していたと思います
よく木箱から牛乳が盗まれた事もありましたよネ
とてもショックでした
見覚えのある方、たくさんいるのではないですか
とてもなつかしです
ではまた
丸いコンクリートのポスト
こんにちは
高山昭和館の岩高です
いつの間にか無くなった丸い郵便ポスト
そもそも丸いコンクリートのポストは1949年、「郵便差出箱1号(丸型)」が登場し、これが丸型ポストとしての最終型となったが、1970年に後継の「郵便差出箱1号(角型)」が登場し、丸型の生産・設置は終了した。
日本全国に四角いポストに置き換えが進み丸いポストは
徐々に姿を消したと言うわけだ
しかし、現在も埼玉、東京、兵庫で残っている見たいです
高山もどこかに残っているんですかネ
それではまた
高山昭和館の岩高です
いつの間にか無くなった丸い郵便ポスト
そもそも丸いコンクリートのポストは1949年、「郵便差出箱1号(丸型)」が登場し、これが丸型ポストとしての最終型となったが、1970年に後継の「郵便差出箱1号(角型)」が登場し、丸型の生産・設置は終了した。
日本全国に四角いポストに置き換えが進み丸いポストは
徐々に姿を消したと言うわけだ
しかし、現在も埼玉、東京、兵庫で残っている見たいです
高山もどこかに残っているんですかネ
それではまた
大塚のボンカレー
こんにちは
高山昭和館の岩高です
今日はなつかしいレトルト食品の
元祖とも言えるボンカレーを紹介します
ボンカレーは、大塚食品が発売するレトルトカレーの商品名である
日本初のレトルト食品。甘口、中辛、辛口の三種類がある。現在の主流はフルーツベースのボンカレーゴールド、温色で描かれた同心円のパッケージで知られる
ボンカレー、1968年(昭和43年)2月12日に、大塚食品工業より世界初の一般向けの市販レトルト食品として発売された
商品名の由来はフランス語の形容詞 "bon" からきていて、「良い(優れた)、おいしい」という意味である
一人暮らしの男性(独身)でも温めるだけで簡単に食べられることから「チョンガーカレー」という案もあった
知っていましたか
当時、小学校1年だった自分は、親が留守の時は必ず
湯銭して食べた記憶があります
なんて楽な食べ物だと子どもながらに思いました
今でもたまに食べますが、当時と変わらぬ味です
それでは、またです
高山昭和館の岩高です
今日はなつかしいレトルト食品の
元祖とも言えるボンカレーを紹介します
ボンカレーは、大塚食品が発売するレトルトカレーの商品名である
日本初のレトルト食品。甘口、中辛、辛口の三種類がある。現在の主流はフルーツベースのボンカレーゴールド、温色で描かれた同心円のパッケージで知られる
ボンカレー、1968年(昭和43年)2月12日に、大塚食品工業より世界初の一般向けの市販レトルト食品として発売された
商品名の由来はフランス語の形容詞 "bon" からきていて、「良い(優れた)、おいしい」という意味である
一人暮らしの男性(独身)でも温めるだけで簡単に食べられることから「チョンガーカレー」という案もあった
知っていましたか
当時、小学校1年だった自分は、親が留守の時は必ず
湯銭して食べた記憶があります
なんて楽な食べ物だと子どもながらに思いました
今でもたまに食べますが、当時と変わらぬ味です
それでは、またです